かみなぎ30

 ふとした肌寒さで目を覚ました真由のもとには、やはり八千穂はどこをさがしてもいなかった。まだ夜もあけきれていない時刻で、風ばかりがすずしい。たき火のそばに横になっていた真由は、身を起こしてじぶんの弱気な涙をぬぐうと、馬に飼い葉をくれていた伊住のほうに歩いていった。伊住は真由がなにかを言うまえに、ぶっきらぼうに言った。 「皇子どのな…
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かみなぎ29

 真由はふいに暗闇のなかに突き飛ばされたような気分で、あたりをせわしなく見渡した。けれどいくら目をこらそうと、真由のまわりに満ちるのは本当の暗闇、顕なるかがやきをすべて閉め出した深い闇であった。 ふつうならば、ひとは闇をおそれる。闇のなかに何か得たいの知れないもの、恐ろしげなものが潜んでいると考えるからだ。闇は死人たちのもの。闇なる女神…
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かみなぎ28

 櫛名田は鳥髪の里に大蛇神を鎮めた英雄を連れ帰った。  里に帰りついたあとの騒ぎといったら、ものすごいものがあった。櫛名田と須佐ノ男はそれぞれの住居からまろびでて来た大勢の里人たちに囲まれ、足名椎の御館の前の広場で真昼のうたげに興じることになった。彼らの表情ははじめのころこそは半信半疑だったものの、須佐ノ男が里人たちの前で大蛇神の…
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かみなぎ27

 待っていろとは言われたものの、櫛名田の性格からいって、じっとしていられるはずはなかった。もともと、あの御輿に乗るのは櫛名田自身だったことを考えれば、じぶんひとりが安全な御館のなかでじっとしているなんて、とうていできない相談なのだった。  彼女は着慣れた薄桃色の衣裳の裾をたくしあげ、近づきすぎず離れすぎずで須佐ノ男たちをつけていた…
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かみなぎ26

 男鹿のつのに触れた真由は、耳にさややかな水脈のながれを聴いた。 すると目の前が真昼のようにしらじらと輝き、真由はまぶしさにひととき目をつぶった。綴じられた眼皮をそろそろとあけたとき、彼女は見知らぬ場所をみた。いいや、川を近くに栄える里の風景は、どこかなつかしくもあった。  ひときわ大きな御館を中心にして、ぽつぽつと立ち並ぶ茅葺き…
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かみなぎ25

それから何日かたつと、櫛名田にはじめての陣痛がおとずれた。  櫛名田をまもる、と成り行きのうえでとはいえ須佐ノ男に言い切ってしまった伊住は、威勢よくタンカをきったことを少し後悔していた。この数日というもの、彼は櫛名田にだれよりも近かった。櫛名田の夫である須佐ノ男は里づくりに日々を追われていたし、同い年のむすめたちも忙しさを相手にし…
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かみなぎ24

 須佐の里への案内人役は、柾人が願い出た。 「ふしぎなんだ。この前の冬にもね、やっとみつけた獲物を追っていて、いつのまにか里の跡についたんだ」  けものがめったに捕れない土地でたまさかみつけた獲物は、どんな苦労を支払ってでも捕らえるべきものにはちがいない。じっさい、柾人のような育ち盛りの若者には、干物ばかりの生活は耐えられな…
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かみなぎ23

 白野の庄を濡らしていた雨は、真由が目を覚ましたときには止みはじめていた。いつのまにか横になって眠っていたらしく、麻衾が肩まで引きかけてあった。もっと眠っていたかったけれど、耳に聞こえる音が気になって真由は身を起こしたのだった。いろりのそばで石皿をかかえ、すりこぎで何かを叩きつぶしていた柾人は、真由が起き上がったのを見て明るく笑った。 …
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かみなぎ22

 因幡は気高の里から出手母までは、馬足で四日ほど行けばたどり着く距離だった。呼月に言われるまでもなく、八千穂は出手母という土地になにかしら引かれてやまないものを感じていたのである。  そもそも天照が大蛇神を鎮めたのは出手母の地。真由の母、櫛名田の故郷も出手母。そして須佐ノ男が天照によって殺されたのもまた、出手母なのだ。出手母へゆけ…
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かみなぎ21

 真っ白な空間、真由の夢の中からひとすじの道を見つけだした八千穂は、いままで頼りなく漂っていたのがウソであったかと思われるくらいのあっけなさで、いやにすっきりと現身に落ち着いた。  八千穂はふと目覚めた。目を開けてすぐにでも起き上がろうとしたものの、身体がかたくこわばっており、節々がきしりぎしりと痛んだ。腕をひとつ動かすにも彼は苦…
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かみなぎ20

 真由はおかしな場所にいた。まわりは見渡すかぎりに白ばかりで、足元は摘んだばかりの、ほの黄色い真綿を集めたようにふわふわしていた。(もしかして、ここって、雲のなか?)  真由は足元のふわふわをそっと踏みしめながら、そう思った。雲のうえであれば、注意しなければ。なにかの拍子に踏みはずしてしまえば、はるか下の地面にまっさかさまだ。足元…
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かみなぎ19

 真由はその日の朝から、ずっと呼日のおもりだった。  朝餉を食べ終えてからすぐさま采女にうながされ、真由は呼日の室をたずねた。ちいさな呼日は乳母の手によって、口のまわりや衣についたごはんつぶを取られている最中であった。 「まゆ!」  呼日は童男らしい真っ赤なほほをしており、真由の訪問をみつけると乳母の「しばしお待ちを」…
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かみなぎ18

 しずかな水面を波立たせ、苔むした杉の古木をふるわせる赤い猪のかなしげな咆哮が、青田彦の耳にこだまとなって長くひびいていた。 「ばかな、ばかな!」  はじめ夢でもみているのかと彼は自問した。しかし、いくら否定しようと目の前の惨状はうつつのことだった。八千穂は山城の弓取りたちが放った矢群れに身を貫かれたのだ。澄み切った湖面にう…
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かみなぎ17

 季節は夏をむかえ、肌にまとわりつく空気はやけに重たい。ときおり吹く風が熱気をさらいゆけばいいものを、この土地に風が吹きくることはひどくまれだった。四方を山々にかこまれた土地であるため、風もとどこおるのだろうよと人々はいう。  高天原はうわべは華やかでありながら、その実は死んでしまった土地なのだ。高天原びとはむかし、神の血脈にあた…
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かみなぎ16

 真由の身はそれからすぐさま御座から遠ざけられた。采女にうながされ、廊下をなんどか折れたあと真由が通されたのは、小ぎれいにととのえられた一室だった。とはいえ、もとはおおきなひとつの部屋を几帳でくぎったものらしく、広さは真由ひとりが横になればいっぱいになってしまうくらいの狭さだった。几帳が三つばかり、いそいであつらえたことがあきらかに、目…
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かみなぎ15

王坐へは御輿でむかった。四人の人手にささえられた、ふたり用の質素な御輿である。真由はそのなかに阿多流とともに乗り込んではいたが、なにかしら言葉をかわすでもなく、ならんで座ったままだまりこんでいた。話すべききっかけも、とくべつな話題も真由はもちあわせていなかった。それにもまして、少しまえから具合がわるくなりはじめていたのだ。 御輿が前に…
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かみなぎ14

「伊住、その子だれ」 「このひと月、市庭に伊住がいないとぜんぜんだめ。盛り上がらないの」「伊住、ねえ、伊住ったら」  すれちがうたび、伊住にいとまをおかず声をかけてくるのは、ほとんどがおんなたちだった。王坐へ呼び出された真由のため市庭で衣裳をみつくろった行き帰り、何人のおんなに声をかけられたかしれない。  伊住はたしか…
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かみなぎ13

 八千穂は出迎えびとたちに囲まれるようにして纏向市街をぬけ、夕闇に藍いろが濃くなりはじめるときに王坐へのひときわ堅牢な門をくぐった。馬をおりてから走り寄ってきた舎人にたづなを渡すと、八千穂は身を休ませるひまもなく采女にうながされ、母巫女の御座へと足を向けた。 天照大巫女王の御座は王坐でもひときわ神聖な場所であり、むやみに立ち入れる場所で…
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かみなぎ12

因幡から帰り着いた皇子の一行は、翌日の夕暮れに高天原いりをした。 行き来する小舟がずっとちいさく、木っ端のように川を流れてゆく。川をまたいでかけられた大きな橋をひとつ越え、かち割られた石が畳のようにしきつめられた幅広の道をたどりながら高天原の巨大な門のまえにくると、一行はいちどあゆみをやめた。門は見上げるほどにおおきなもので、両開きにな…
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かみなぎ11

 やぶれた着物のかわりに高天原のしろい衣袴を身につけた真由は、皇子の馬の背におとなしくゆられていた。馬のたづなは彦田がひき、真由の背中のほうには皇子のぬくもりがあった。あたりはもはやうすぐらい。太陽はその身をかくし、夜のほしぼしに空をあけわたそうとしていた。どこかで遅鳴きの鳥の高くも低くもない鳴き声がする。 (ぼくと高天原へいこう…
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かみなぎ10

「因幡の女を賭けると。伊住どの、それはどういうことだ」  ひげをはやした若い従者人が、札のたばを手慣れたようすで切りながら疑問を口にした。赤くぬられた五枚のうすい木の札を手にした伊住は、たくさんの男たちのまなざしを一身に引き受けながら、ただにやりとわらった。 「まだないしょだよ。おれがすっぱり負けたらおしえてやるさ」 …
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かみなぎ9

 杉の木を背枕にしたまま、糸のきれたくぐつのように、だらりと両手両足を地面のうえに投げ出していた真由は、ぼんやりとしてはいたものの意識をとりもどしていた。皇子がわざわざ自分の衣をやぶって真由のほほを止血してくれたらしく、彼女のむきだしになったしろいももに、赤く染まったひときれの布が打ち伏せられたちょうちょのように落ちていた。真由はみだれ…
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かみなぎ8

「真由どのの母は天照大巫女王ではないか、もしや」  皇子は青田彦のおもいつきに、言葉をうしなった。青田彦は皇子の様子にはっと気がつくと、軽薄に動くおのれの口が、今ほど腹立たしい時はないように思った。 「も、もしかしての話であって・・・・」  皇子と真由は寝所をともにしているのである。それを知ったうえで同母のきょうだいで…
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かみなぎ7

 呼月さまの神社をでて、稲葉山の細い山道を馬の背にゆられることおよそ一刻、四頭の馬は気高の里にかえりついた。真由は伊住の馬をものも言わぬままにおりた。 「真由」  神社をでてからというもの、みながみな道すがらずっと黙り込んだまま、ひとことも言葉を言い交わそうとはしなかった。伊住の軽口があったほうがよほど、沈黙よりも救われると…
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かみなぎ6

(ひやひやさせやがって)  伊住は社へむかうゆるい傾斜を馬の背にゆられながら、にがにがしい気持ちでそう思った。彼の目にはうつむいたままの、むすめの背中が見えている。真由だった。真由はどういうわけか皇子が馬上から差し出した手をとろうとせず、くちびるを白くなるまでかみしめて突っ立っていたのだった。皇子と真由のあいだに何かがあったのはた…
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かみなぎ5

 真由はゆらゆらと揺れるあかいひかりをみつめていた。あたりを見回しても暗闇ばかりで、ひとつの物音もせずしずまりかえっている。ただ真由の目だけが、勾玉のあかいひかりをみつめているのだった。 《まゆ、目をおさまし》  ふと聞きおぼえのないしわがれた声が、真由の耳に聞こえた。いいや、それは耳に聞こえるというよりも、頭にじかにひびく…
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かみなぎ4

湯を使ってさっぱりとした赤ん坊を抱いて、真由は炊飯場に立ち寄った。伊住を置いてけぼりにしたままだったが、気は咎めなかった。さかずきをいくつも呷ったはずだけれど、べつだん酔っている風でもなかったし、まさか湯殿のなかで溺れるなんてこともないだろう。  真由はいちど里の子供たちがあつまっている場所に顔を出してみた。子供らの世話をする役割…
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