かみなぎ42(終)

 ひしめくように露店をかまえて、地べたのうえに品物をならべた物売りたちや、通りを行き交う、身につけた着物の色もあざやかなひとびと。
 市庭のさかえは、目を瞠るものがある。真由はひとの流れに押し出され、ときには押し返しながら、何かをさがしているのだった。ときおり爪先だちをして、ずっと向こうの方を眺め見ようとするけれど、こんなにも混雑したなかでは、黒ぐろとした人の頭しかみえやしない。

 それに真由はへんな格好をしていた。白い衣袴に、髪は下げ角髪に結い、胸にはたくさんの勾玉をつらねた御統をつけている。手首にも勾玉や管玉をつらねた豪奢な腕輪がはめてあり、真由が歩くたびに足結いのところにくくりつけられた鈴が、やさしく鳴った。ただひとつ気になったのは、腰にさげた剣の重さと、鞘を吊る留め具と、剣のふれあうときの、耳障りな金めいた音だった。

 手首が腕輪でずっしりと重いのに、真由の手はとてもさびしかった。さびしくて、とても冷たい。市庭の人々をかきわけて、真由はずっと探し物をしていた。露店に出ているなにかの品物なのか、それともこの場所ではぐれてしまった、誰かをさがしているのか。

 行き交う人々は数え切れない。ただ、その中で真由を気にとめるひとは、誰ひとりとしていないのだ。真由は、押し寄せて引くことを知らない不安で、溺れそうになった。

「まゆ」

 いつ切れるか知れない人波をかきわけ、足早に進んでいた真由は、ふと名前をよばれて顔を上げた。後ろ手に右手をつかまれていたので、真由はそのままうしろをふりかえった。真由の手をとるひとは、とてもあたたかな体温を真由にくれた。真由は安堵とともに手の持ち主をみあげ、それから悲鳴を上げた。

 一瞬時が止まったような気がした。真由のうしろには、真紅とも純白ともつく炎の龍が、真由を喰らおうと、その上あぎとを目一杯ひらくところだった。そのまま噛み付かれるかと思いきや、龍は紅色のうろこのきらめきを見せながら、真由のすぐ目の前で天へ上昇していった。

 炎の龍は一見無目的に飛び回りながら、じっさい真由だけをねらい続ける。走って逃げようとする真由のすぐ耳元を、炎の龍の舌がかすった。すべてが炎で形作られた龍は、ただいちずに真由を焼き滅ぼそうと追ってくる。これは、真由を殺す炎だ。しかし、真由は龍を憎めない。恐ろしかったが、憎しみは湧きようもないのだ。

 腰にはいた剣をもちいり斬りつければ、この恐ろしげな龍は燠火となって、死に絶えるだろう。けれど、真由は剣を振るう気にはなれなかった。革帯についていた留め具をひきちぎり、鞘ごと剣を投げ捨てた。逃げるために身軽になりたかった。

 けれど本当のところは、もう、燃やされようが何をされようが、かまわないと思ったからかもしれない。剣で炎をけしさるつもりはなかった。ただそのまま、後ろを振り向かず必死に逃げた。剣を放り投げると、どういうわけか炎の龍はもう追っては来なかった。

 走り疲れ、じぶんの足がじぶんの意思とは別のところで動いているようにさえ思われはじめたころ、ようやく真由は足を止めた。肩で息をして、呼吸が落ち着いたころに顔をあげると、水の流れもさややかな、ちいさな川べりに真由はいた。

 あんまり小さい川なので、魚はいない。ただ真由は、そこかしこの苔むした石のかげに、なにか生き物がすばやく動くのを知っていたし、昼のあかるさが夜のとばりの中に隠されてしまう、この一瞬の交替劇に彩りをそえようと、むこうの雑木林に呼子鳥がすずしげに鳴いているのも知っていた。

 くしくもあたりは夕暮れどきで、血の色をおもわせる太陽が、やわらかな横びく雲をも赤く染め、まといひきいて、沈んで行こうとしていた。「あ・・・」真由は、声をもらした。彼女の目の前には、赤くそめぬかれた川べりで、ひざをかかえている少女のすがたがあったのだ。少女といっても、女童ではない。伸びはじめた背丈と、ふくらみはじめた胸乳に困惑するような年頃の少女だ。

 両手で顔をおおってしゃくり上げるしぐさは、けれど実際の齢よりも少女を幼くみせていた。だれに問うでもなく、あれはじぶんなのだと真由は知っていた。いつも不安で、いつも居場所をもとめていた、真由のすがただ。

 近づこうとしたが、けれど真由は足を止めた。雑木林をぬけて里のほうから、足取りもかるく歩み寄ってくる少年のすがたがあったせいだった。ふくら脛丈の、きばんだ麻のさらし衣に、背中に流した長い髪。まるきり少女の格好だったが、のびやかな若竹のようなしなやかさと強さは、少女の持ち物ではなかった。

「かえろう、真由」

 伊住が言うのに、おさない真由はがんこにそこから動かなかった。けれど空腹を訴える体は正直なもので、伊住は不服を言う真由の腹の虫を聞き止めて、おかしそうに笑った。

「強情っぱり。腹の虫のほうが、よっぽどすなおだね」

「伊住ちゃん、怒って、ないの?」

 伊住は、てもちぶさたに石ころをつかみ、川のなかに投げ込んでいた。「何をおこるのさ」「あっことケンカしたこと・・・」

 伊住は渋い顔をつくった。

「だって、あっこが伊住ちゃんを取るんだもん。あっこって、大嫌い」
「亜津はぼくの好きなひとだよ。だったら真由はそうやって、ぼくの好きなひとと、いちいちけんかをするの」

「だって、すきなひとって・・・」

 真由は足元の草を、ぶちぶちちぎった。

「あっこはだめ。いやな子だもん」

 伊住は腹立ちの表情を隠さなかったが、けれどすぐに苦笑をした。

「今日知ったよ。真由と取っ組み合っていたときのあいつは、すごい顔をしていたもの。あんなことを言う子だったなんて、知らなかった。

けど、気高でいちばん美人だ」

 真由は伊住をにらみあげ、さしだされた手と伊住の顔を交互に見つめた。それから、顔をふくらますなり、立ち上がり、雑木林を小鹿のように駆けていった。

「伊住ちゃんの、ばか!」

 伊住はもそもそと髪の毛を掻いていたが、じぶんも立ち去りかけた。けれど、何を思ったかうしろを振り返り、まっすぐに真由をみつめた。伊住はふしぎそうだった。真由は息を呑んだが、彼はかすかに笑い、ふたたび歩きだした。

 彼は、里へ行くのだ。母さんと父さん、すみなれた住居。里の風景が、目の前にある。追って行けば、簡単にはいりこめそうだった。伊住に追いつかなければ。彼をもういちど振り向かせなければならない。

「待って!」

 真由は、叫んだ。一緒に行きたかった。真由にやさしいすべての事柄が、おさない伊住の歩いて行く方向にある。その風景のなかに、飛び込んでしまいたかった。おそろしい炎の龍は、あそこまでは真由を追ってはこれまい。

 伊住はいちずな真由の呼び声につられたか、ふりかえった。けれど、何も言わないままに、かたくなな瞳だけで真由を拒んだのだった。彼は、ひとさしゆびでずっと向こうのほうを指した。真由の背中のほうだ。たしかに真由も、前からだれかの気配をかんじていて、けれど振り向けないでいたのだ。

 伊住の行為がきっかけになり、真由は振り返った。そのあいだに、伊住はもう雑木林のむこうへ駆けさり、消えていた。

「かえろう、まゆ」

 真由の振り返ったさきに立っていたのは、八千穂だった。真由がずっと、心の底でおそれていたひとだった。・・・真由が追われ、逃れようとした炎の龍は、八千穂そのものだったのだ。真由を殺す炎をまとうひと。 けれど、真由はどうしたって彼を憎めない。だから、逃げた。八千穂と殺し合うなら、殺された方が、ずっとつらくないから。

「いや。わたし、向こうに行くのよ」

 ここまで逃げたというのに、八千穂はまだ追ってくるというのだろうか。ここまできて、真由のかたい決意を打ち砕くのは、八千穂のやさしいほほ笑みだった。

「かえろう。きみに行かれてしまったら、ぼくはかえれない。ひとりでは、かえらないよ」

 八千穂はやさしいけれど、有無をいわさぬ口調で重ねて言った。真由は苦しくて、目を伏せた。八千穂が心底おそろしい。けれど、それと同じくらいに好きでたまらない。どちらの気持ちが勝っているかと聞かれても、真由は途方に暮れるばかりなのだった。

「きみがいてくれなきゃ、困る。きみがいないと、ぼくはいつまでも始められない」「はじめる?」

 真由は思いもしない言葉を聞いて、驚いたのだった。あのとき、すべてが終わったような気がしていた。それに、真由はひどく疲れていた。体の底に疲れというよどみがたまり、起き出すのはおっくうだったのだ。立ち向かうよりも、逃げる方がずっと楽だった。真由は楽な方を選んだのだ。・・・ところが、八千穂にはちっとも暗さや倦みというものがない。
「巫の霊力を解放したとき、ぼくは選らばされた。いいや、ちがう。巫の霊力にしがみつきたい気持ちに、食われそうになった。どこかで誰かがいうんだ。霊力をもちいれば、この世のあらゆる快楽が手に入ると」
 八千穂はほほえんだ。

「快楽って、なんだろう。霊力がなければ、手に入らないものだろうか。そう訊ねかえしたら、声は黙ってしまったよ。建御雷は、霊力に食われてしまった。彼の幸せは、霊力のもたらす繁栄にあった。・・・ぼくはだから、彼にぜんぶをやってしまった」

「あなたらしいわ」

 真由は泣きそうになりながら、ささやいた。そして、逃げ出したじぶんをはじめて恥ずかしく思ったのだった。八千穂は、ずっと真由を追って来ていたのだ。真由の瞳が曇っていたせいで、八千穂のすがたがひどく恐ろしいものに見えたのかもしれない。

「きみだって、霊力をのぞんでいなかったね」

 八千穂はしずかに言った。執着しなかったから、霊力を手放せたのかもしれない。八千穂が憎んでいたのは、真由ではなく、彼女の身に持つ巫の霊力だった。八千穂はそれを殺したいと心の底から願ったのだ。

「捨ててしまって、正解だったのよ。霊力が惜しまれるのは、きっと、霊力に対するおそれを全て忘れ去ってしまったときだわ」

 八千穂は、そっと真由に手を差しのべた。彼の顔には、晴れやかなほほ笑みがある。真由はただ、それを信じればよかった。八千穂の手は、未来への道しるべだ。

「あなた、ほんものの八千穂?」

 手を取ろうとした真由は、ふと心配になって聞いた。ここまできて、八千穂がまぼろしだと思い知るのがおそろしくなったのだ。建御雷のみせたまぼろしは、じつは真由が心の奥で切望していたものだった。八千穂の笑顔はすべての希望に満ちあふれたものであるだけに、もしや、彼もまたまぼろしなのではあるまいかと、真由に思わせたのだ。

 すると、八千穂は目をほそめ、まばゆそうに真由をみつめた。それから、顔を近づけ、盗み取るように口づけをした。

「まぼろしはきみに触れられないでしょう」

 真由はびっくりし、それからようやく安堵して彼の手をとった。

 過去にしがみつこうとした真由をひきはがし、八千穂は彼女を外へ連れ帰ったのだった。霊力もないただびとに帰ったふたりは、けれどただびとであることが、何よりとうといことなのだと知った。

 たとえ吹く風にさからえない、ちっぽけな木の葉であっても、けっしてむだな命なんてものはないのだ。木の葉は朽ちて散り積もり、あたらしい命の苗床となる。散り積もるそのなかの一枚になれたとしたら、それだけでとうとい、得難いことにちがいないのだ。

      *         *         *

「生きるのに必要なのは、しろがねの武器ではない。いるのは、知恵、したしみ、本当に、それぐらいなのだ。そなたらは、お互いにお互いの生太刀であれ。生きるうえで、もっとも欠いてはおけない、生きるための武器であれ」

 明日香の声を、八千穂はひどく遠いところで聞いていた。

「傷つけるための太刀ではない。すべてのいとしいものを、まもるとき用いるのを、生太刀というのだ。そなたの持ち帰った生太刀は、わかるであろう? よもや、けっして手放してはならないよ」

 八千穂はうなずいた。

「いとしい子らよ。雄々しくお生き」

 それから、急に頭がはっきりしだした。八千穂は眠気を振り払うと、起き上がり、ひろい天幕を見まわして明日香のすがたをさがした。けれど彼女のすがたはどこにもなく、ただ浅葱色の衣と袴が、脱ぎ捨てられたようにあるだけだった。

 礼が言えないのが心残りだったが、明日香はきっと、老いゆくすがたを八千穂にもみられたくなかったにちがいない。けれど、老いていようと、衰えていこうと、明日香はきっと美しくも気高いほほ笑みをしていただろうと思えた。彼女は、ほほえみとともに空気にかえったのだ。

 骨のひとかけらも残さず、すべてが風にさらわれてしまったなかで、八千穂はあるものをみつけた。明日香がたしかにそこにいた証明、たたまれもせず、むぞうさにある浅葱色の衣のところに、輝きをうしなって色あせた、御鏡のかけらを八千穂は目に留めたのだった。

 手に取ろうとした八千穂は、けれどその前に、起き上がった真由の気配にふりかえった。「八千穂」真由ははにかんで笑うと、彼に手をさしのべた。

 八千穂はうれしくてたまらなかった。色味を失ったかけらではなく、真由を強いちからで引き寄せて、腕にだきしめた。

 なぜだかわからないけれど、笑いたくてならない。脇腹に受けた傷は完治しておらず、体を揺らすたびにひどく痛んだが、生きていることの喜びのほうがずっとずっと強かった。死んでしまえば、痛みもなにもわからない。

 真由はふしぎそうにしていた。

「なあに。ひとりで笑うのは、ずるいわよ」

 それから真由はなにかしら誤解をして、顔をふくらませた。ふくれた表情には、いままで死人のように血の気のうせた顔をしていた真由の面影は、さっぱりとなかった。彼女に寄り添っていた死は、八千穂が追い払ったのだ。そう考えると、じぶんが誇らしくて、それに嬉しかった。
「あなたのほうが、おかしな格好をしているわよ。角髪よりも、小輪結いの髪形が似合うなんて、ほんとうに憎らしいひとね」

 なにも真由のすがたを笑ったわけではない。しかし今は誤解すらもおかしくて、いとおしくて、八千穂は笑いでふるえる体をどうにもできないまま、ぶぜんとした真由に口づけた。そのあいだにも、くぐもった笑い声はどうにもおさまらなかった。

 真由もいつまでもむっとしていたわけではない。八千穂の笑いがうつり、やがてふたりは揃って笑い出した。

 天幕のなかに笑い声がひびくときになると、どちらからともなく声をひそめ、お互いの結わえ髪を解きあい、それから身につけた衣を解きあった。まなざしは不安と高揚をまじえて、指先はせっかちにお互いをまさぐった。肌をさぐりあう指やくちびるも、ただもどかしいばかりだ。

 ふたりは何をしているのかよく分からないまま、もつれあった。真由の指が八千穂の脇腹の太刀傷にふれ、いまだににじむ血をみとめると、おびえたように指をひっこめた。血はとまっていたものの、うっすらと肉の見える傷口は、なまなましかった。

「これ・・・」

 すりきれて薄っぺらくなった褥のうえ、真由は横になりながら八千穂をみあげた。真由の瞳はかなしみではなく、べつの涙でうるんでいた。八千穂は困ったようにほほえんだ。膿むような痛みはあったが、それにまさるのは心地いいせつなさ。やがて熱い潤みが八千穂をとらえた。潤みにふれただけで、八千穂はうめかずにはおれなかった。

 共寝の所作をだれに教わったわけでもなかったが、しぜんと二人がひとりになろうとし、おもいのたけを果たそうとした。

 そうして一瞬だけ、体という檻にはばまれた、ふたつのたましいが重なりあったような気がした。体温も時も、なにもかもが一緒にのぼりつめ、そしてその瞬間、ふたりははじめて出会うのだ。

 外はまだ明るかったが、心地よい疲れと、おそいくる眠気には夜も昼もなかった。衣をふたたび着るには、八千穂の衣裳はぼろぼろで、ところどころ焼け焦げたり血で汚れていた。真由の衣袴も同じようなもの。 袖をとおすのはためらわれ、けれど肌寒さはどうしようもない。天幕の外は、ひときわ強く風が吹いている。なんだか、ひとの声もやけにさわがしい。けれど八千穂は耳をふさぐことにした。今だけはだれにも邪魔してほしくなかった。

「冬眠するかえるみたいね」

 脱ぎ捨てた衣をひきよせて、小山のようになったその中にもぐりこむと、真由が息をひそめて笑った。すすけた衣の匂いのなかで、八千穂もほほえんだ。気恥ずかしいきもちは、ふたりを言葉すくなにさせた。

(ぼくには帰る場所がある。こんなにうれしいことはない)

 八千穂が探しあぐねていたものが、手を伸ばせば触れられるほど近くにある。けれど、それをどうして伝えればいいのか、わからなかった。 もどかしがった八千穂が赤らんだほほにそっと触れると、真由はくすぐったがりながら、八千穂の手をあまく噛んだ。歯形もつかないたわむれだったが、八千穂はせつない痛みに顔をしかめた。

 そして、もしかしたら、このぬくもりをしあわせと言うのだろうかと、口にはださずに考えた。・・・胸を張ってそう言うには、まだ早いような気がしたし、あらためてくちびるに乗せれば、かろやかな雪のように溶けて消えていってしまいそうで、少しこわかった。

 かわりに、八千穂はそっと言い出した。

「かえると言えば、ぼくらはどこへ帰ろうか?」

       *        *        *

 いったんは止んだものの、またちらほらと降り出した雪が、伊住の目をほそめさせた。吹けばとぶような軽い雪は灰色の空からうまれるものだ。山も、木も、眼差しのずっと向こうに見える高天原の様子も、やがてはすべてがふかく、雪の純白に覆いつくされるだろう。

「やっかいながきを拾ってきちまったようだ」

 伊住はつぶやきながら、たき火のそばに座ってうつむいている、ちいさな童男をみやった。陣のはずれ、大きなイチョウの木のそばで、寒さに負けまいと大きく火を焚いているところだった。

 真由と八千穂のことが気にかかったが、明日香姫にしめだされてはどうにもならない。彼女にまかせるしかないとは知りつつも、落ち着かないのは伊住だけではなかった。どうにも待ち切れない卯月は、さきほど様子を見に天幕に走っていったところだ。

 国つ者たちにとって、高天原はもはや敵ですらなかった。天照の足元にひざまずくことで、かろうじて保てていた周辺の一族の団結は、象徴たる太陽が隠れてしまった今となっては、守られるかすらもあやういところだ。

 青田彦はたき火を囲みながら、粗く刈った柴原のようなあごひげを、いかつい手でごしごしと撫でた。

「どたんばになって、戦わずして勝ったようなものだが。・・・これで終わるわけもない」

 これからあらたな高天原を打ち建てようとする者がいるだろう。だれが大王になるかで、また愚かなもめごとがはじまるのだ。

「やらせておけばいい。この島つ国がだれの持ち物かは、おれたちが知っていればいいことさ」

 伊住はあいづちをうった。いつまでも身内で争っていればいい。支配や御座なんてものは、一時のゆめまぼろしなのだと知ればいい。権力など、こいびとたちが共寝のあとにみる夢よりも、もっとずっと移ろいやすく、あやふやなものなのだ。目に見えるきらびやかさも、すべて虚構で膨らまされたものではないのか。

 しかし、御座争いに取り込まれて行く人間がいるのも、また確かなことなのだ。伊住は、なにげなく呼日のちいさな背中を眺めた。

 細い肩につくかつかないかの髪型に、大きな瞳はくりりとしている。愛らしい顔立ちだが、伊住はさっき噛まれた左手の親指のつけねが、まだひりひりしていた。まだ三つか四つだが、伊住のからかいに腹立ちをおぼえるのには十分な年頃らしい。

 それにしても、王坐に入り込めたのは、呼日が病をえたおかげなのだ。なのに呼日には、いまにも死にそうな気配など、まったくない。

「ばあも、みなも、ぼくのことなんか忘れている。とうさまも、きれいなかぶとを、ぼくに触らしてくれないんだもの」

「男だろう。仮病なんてめめしい手をつかうなよ」

 伊住はおもわず呆れたが、呼日の仮病のおかげで王坐に侵入できたことは事実なのだった。それに、呼日は本当にさびしそうだった。伊住は頭を掻きながら、たずねた。

「おまえのとうさまは、どうした?」

 呼日はよりにもよって、美栄彦の子である。診察のまね事をした青田彦が言い切るのだから、間違いないだろう。・・・にせものの医師に、仮病をつかった病人。なんとも滑稽なとりあわせではないか。

 大蛇の勾玉の呼び合うちからに引き寄せられて、燃える王坐から助けだした子供だったが、三つあるうちの勾玉の最後のひとつがみあたらない。考え違いか、もしくは、あのまま燃え盛る王坐のなかに置き去りにしてしまったのか。

「とうさま、怒ってしまったよ。ぼくがきらいになったんだ・・・」

 呼日が言うには、美栄彦は背の曲がった翁のような、気味の悪い男とともにどこかへ行ってしまったのだという。伊住は察するところがあり、やはりたき火を囲んでいた葦生と顔を見合わせた。

 おそらく美栄彦は、鳥船に消されたのだろうと思えた。陣にたどり着くまで八千穂から聞いていたのは、ごく大まかなことばかりだった。いちどは真由の体と霊力をのっとった建御雷は、みずからが大巫女王として高天原に君臨しようとしたのだという。

 そうしようとすれば、まず邪魔になるのは八十神。とはいえ、美栄彦をのぞけばすべてが愚昧も同じである。みずからの子、呼日を天孫として、もしくは高天原のあらたな太陽として、御座にすえようとしていた美栄彦は、建御雷にとってもはや邪魔者でしかなかったのだ。

 父親は怒り、そのせいでじぶんを迎えに来ないのだとばかり思い込んでいる呼日は、幼く物を知らないだけに、どこかあわれだった。かたく握り締めたままのちいさな両手をひらき、呼日は顔をおおった。

 そのひょうしに何かが呼日の手からころげおち、つまんで拾い上げたのは伊住の長い指だった。

「こいつは・・・」

 肌のぬくみでくもった勾玉である。かたちは、満月にしっぽをつけたようなもので、くすんだ深い緑色をしている。ふと思いついた伊住は、胸元からあとふたつの勾玉をとりだし、何げなしにちかづけた。再びひとつになろうとして、呼び合っていた魂のかけらだ。何が起こるかもわからなかったが、伊住は三つの勾玉を手のひらにそろえた。

 すると、勾玉をそろえて乗せた手のひらが、火を握ったように熱くなった。あわてて放り投げるが、凶暴なまでのひかりは、鎮まることをしらない。たちまちのうちに赤いひかりはふくれあがり、火柱のようになって空高くたちあがった。

 伊住の手をはなれ、勾玉のひかりは灰色の空をかき回した。雪を降らせていた灰色雲はさけ、かわりにどこからか近づいた雷があたりにひびきわたる。すさまじい風が足元をすくい、立っていることすらもままならない。たき火の炎は、その風のまえにあえなく消し去られた。

「伊住どの。これから何かやろうとするときは、一言断ってからにしてはくれまいか!」

 青田彦があまりのことに腰をぬかして、さけんだ。いちばん図体のでかい彼でさえ、この強風の中にあっては、立っているのもやっとなのだった。

「王坐が燃え出したり、陽が隠れたり、一日に起きることが多すぎはしないか。こんどは何だ」「ばか、おれが知るかよ」

 伊住は叫び返した。強風のなかに立ち尽くしたまま、ぼけっと光の柱を見上げている呼日が目に入った。

「見とれているやつがあるか!」

 飛ばされそうになっているのを、すんでのところで、その首根っこをつかんで、胸元にひきよせた。

 いままで大蛇神の魂の器としてはたらいていた三つの勾玉は、はじけとんだ。解き放たれた魂は、あかあかしくかがやき、やがてその光は天に向かっていちずにのびゆく、八匹の大蛇になった。ひかりは、炎であった。真紅であり、また純白な炎の柱。大蛇らはからみあい、複雑ならせんを描きながら、灰色の雲をつきやぶって、やがて消えていった。

「あんな途方もないものが入っていたのか・・・」

 去りゆく雷と、空にむけて吹き上げていった風の中で、伊住はあっけにとられていた。八匹の炎の大蛇。あんなものがちっぽけな勾玉に籠められていたということは、すぐには信じにくかった。なにより、天照はあれを鎮めたのである。巫という存在が身にもつ霊力のすさまじさは、まさに神代からうけつがれたというにふさわしい。

「あれは、なんてへび?」

 伊住は、呼日のむじゃきがにくらしくなり、そのあかい頬をつねった。恐れもしない童男が、なにやらおもしろくなかったのだ。

「それはそれは恐ろしい、八またの大蛇神さ。おまえのようながきなんて、ぺろりとひとのみだ」

「おろちがみ」

 ところが呼日はやはりこわがりもせず、どこかうっとりとして、炎の大蛇が消え去ったかたをみつめていた。伊住はどこか底知れないものを感じていたが、いくつも天幕が張ってある内陣のほうから、走ってくる女のすがたがあるのに目をとめ、それきり深く考えるのをやめにした。
「大蛇神、あれがか」

 卯月は頓狂な声をあげた。彼女は八千穂たちの様子を見に行っていたのである。陣はにわかに騒がしくなったものの、大蛇神は雷や風をひきいて、あっと言う間に空の間に消え去ってしまったのだった。

「八人のしもべ、大蛇神と同化をした、佐那来の男神・・・。どこへ行ったのであろうな?」

 伊住はさあね、と言った。

「出手母に帰ったのならいいが。大蛇神は、もとは出手母の土地神だろう。・・・土地神が帰れば、白野の人間も、もっとましな生活ができる。肉や米なしでも元気にはしていたが、柾人の腕はがりがりだったものな」 風はおさまり、ふたたび雪が降り出していた。

「大蛇神のやつ、肥川のよみがえりを果たしに行ったならいいんだが」
 伊住は寒さに首を縮めると、卯月に訊いた。

「そういえば、明日香の姫さまはどうなった? 真由は?」

 卯月はすると、決まり悪そうにしていた。

「いや、大事ないが・・・」

「なんだい、はっきりしないね。様子を見てきたんだろう」

 口ごもる卯月を眺めていたが、伊住はすぐに合点がいった。こういうことには、すこぶる勘のいい伊住である。彼は悪気のないほほ笑みをしながら卯月をみつめた。

「あいつらが居眠りをしている間に、軍をたたもうぜ。なにって、帰りじたくに決まっているだろう。・・・ほかの奴らにも、帰る場所はあるんだ。いつまでもこんなところにくすぶっていて、どうするよ」

「おまえさまの帰る場所とは、どこぞ?」

 卯月がどこか不安そうにたずねた。伊住は笑った。

「これから見つけるのさ。それとも、武佐師にしておこうか。あそこは、人間もいいし土地もいい。飽きたら次をさがせばいい」

「飽かしはさせん」

 卯月は伊住をまっすぐに見つめながら、そう言った。挑むような強い口調と微笑を、伊住はいつのまにか、ひどく好ましく思っているのに気づいていた。

「われらはいいが、この子はどうするおつもりだ?」

 青田彦が呼日をさして言った。

「王坐にかえすにしても、それではなかば、見殺しにするも同じ」

 父である美栄彦も今はなく、祖母もない。あるのはしごく関わりの薄い、叔父たちばかりである。血縁関係が濃い河内一族は後ろ盾になりえるだろうが、呼日が御座あらそいに巻き込まれるのは必須のことだった。 そもそも、美栄彦という存在がいたから、他の七人の皇子たちは、今までおとなしくしていたのだ。やっかいな美栄彦が消えたいま、だれが呼日を天孫などと崇めるものか。

 王坐に返すことは、後ろ盾はあっても、前から降り注ぐ矢群れにはあらがう盾もないまま、まさに血を血であらう戦いに、この童男をほうり込むことだ。

「こいつに自分で選ばせよう」

 伊住はこの時になると、急に呼日を一人前とみなした。たとえ三つの童男であろうと、じぶんの進む道を選ぶのに早いということはない。酷かもしれないが、ここで選ばせるのがもっとも公正だろう。

「ぼく、ミアラカへはかえらない」

 呼日は、いままでめそめそしていたのが、まるでうそだったように、やけにきっぱりと言い切った。炎の大蛇をみあげていたときから、そういえば様子がおかしくはなかったか。

(こいつ・・・)

 伊住は我が目をうたがった。泣き虫の童男の目が、一瞬だけ深い紅にかがやいたような気がしたせいだった。何度かまばたきをし、ふたたび呼日のおおきな目をのぞき込むものの、赤いかがやきなど、どこにも見えなかった。

 きっと、さっきの炎の大蛇のすがたが、強烈に眼底に残っていただけなのだ。ただの目の錯覚だ・・・。伊住は深く考えるのをやめて、しかし呼日という童男は、どこか底知れないと思うのだった。

「では、わたしと共に西の果てへ行かぬか。その齢ならば、これからまだ、どのようにでも伸びることができる。高天原を忘れることも、たやすかろう。忘れてしまったほうが、幸せということもある」

 葦生が言い出すと、呼日はすかさずたずねた。

「にしのハテは、なにがハテるの?」

「芦原中津国がはてるのだ。聞くだけではわからぬよ、火の山も、はての意味も、その気があるのなら、おまえのその目で確かめるがいい。どうだ、行くか?」

「行く」呼日はうなずいた。童男らしい好奇心というには、眼差しがいたくまじめで、そして痛々しい。故郷を失った意味も、悲しみも、憤りすらも、じつはすべてを知っているのではないのか。

 伊住はふと、この童男の底知れなさが恐ろしくなった。それは、理屈では言い表せない、畏怖のようなものだった。・・・おかしな話だが、葦生が引き受けると言いだしてくれたことに、伊住は奇妙な安堵をさえおぼえていた。

「よし、決まりだ。おまえの齢ならば、わたしの妹とも仲良くやれるだろう。阿多津はすこし変わっているが、寂しがりやだから、弟ができたと喜ぶぞ」

 葦生ははれやかに笑った。

「決まりだ」

 伊住は何かを振り切るように言うと、炎の大蛇が巻き起こした風が吹き消していった、たき火の燃え殻を足先でつついた。消えずにのこった燠火のほてりを、しかし踏み潰してもみ消す気にはなれなかった。

 消しそびれた燠火が、あらたな火種になろうとも。いつの日かまた、いさましく矛盾を打ち鳴らし、足を踏みならし、この穏やかな島つ国をどよもすことになろうとも。

「ぜんぶがぜんぶ、あるべき場所に収まるだけだよ。御鏡も巫の霊力ももうないが、これからが本当の人代さ。おれたちがこれからぜんぶ、作っていかなきゃならない。高天原のやつらも同じことさ」

 伊住はしゃがみこんでから、呼日の赤いほほを、やさしくつねった。呼日は今度はかみつかず、おとなしくつねられていた。

「無くしたものは帰ってこないが、新しく作り直すことはできるんだ。何度だって、やり直すことはできるんだ。そうだろ?」

「伊住どの。何度でもやり直すのはいいが、まずはおなごに対して、一度きりと思ってもっと真摯に生きられよ。今度ばかりは、腰をすえねば泣きを見るぞ」

 まったくのいい呼吸で、青田彦がいつものように、ひやかした。卯月はきょとんとしていたが、青田彦の言いようはけっしておおげさではないので、伊住は思わず苦笑いをした。

「まったくだ。不実をしでかしたら、ののしりじゃあなくて、まっさきに平手がとぶものな。ゆびのあとがくっきりつくのには、驚いた」

 一度は食らったような顔つきで、伊住がおおげさに肩を落としてみせると、青田彦はあかるく笑った。葦生もいたずらっぽい童男の表情で、片目をつぶった。

「うちのじいさんは、口癖のように言っていたよ。嫁さんとの戦で旗色が悪くなったら、先手をうってやるべきことは土下座だと」

「しんしに、いきられよ?」

 呼日が、そう言うなり、しぶい顔をした伊住のほほを、やんわりとつねり返した。

(終)

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この記事へのコメント

兼倉
2011年12月13日 23:58
まずは本当にお疲れ様でした&素晴らしい物語を本当にありがとうございました!
初めて須佐ノ男と櫛名田のお話を拝読させていただいたときは、まさか背後にこんな超大作があるとは夢にも思っておりませんでした。
端々にちりばめられた神話ネタに気付けるのもとても楽しくて、文字を追う間は平素のしがらみを忘れたように「かみなぎ」の世界に浸っていました。
はじめは大穴牟遅が高天原の人間という設定に驚いたり、因幡が舞台になっていることが単純に嬉しかったりしましたが、物語が進んでいくにつれてどんどんと絡み合っていた糸が解きほぐされ、新たに編み上げられていく様は本当に圧巻の一言に尽きます。
とても読み応えのあるお話に出会えて本当に本当に幸せでした!!
ありがとうございました!!

※続きます
兼倉
2011年12月14日 00:00
※痛々しい感想を分けました。(その1)

・青田彦が裏切ってなくて本当によかった!信じてたけど!!
・青田彦×卯月かと思ったら一気に伊住×卯月だった!!なんという読み違い!(恥)
・戻ってきた青田彦が言い訳を一切せずに、伊住も最小限の言葉でそれを許すシーンがとても胸に熱くキました!よかったね二人とも!
・というか青田彦がイイ男過ぎて私は嫁になりたい(マテ)
・ヤチホコが小動物の名前で出てくるとは!(ギャップに萌えた)
・青田彦は初読時の初登場の時はとてもストイックな印象だったのに、今読み返してみると言動や行動が須く苦労人に見えてキュン死レベルだった件。青田彦…!
・どうして私青田彦のことばかり書いているんだ?もしかして青田彦にハマったのか…(ここまで無自覚でした)
・軌道修正。
・鳥船がなんという悪党!
・呼月様あああああああああああ!!
・鳥船憎憎憎憎…ッ
・と、思ったら最後の台詞が…
・とり…ふね…?
・彼の立ち居地が私の中で一気に180度転換しました。
・鳥船の歪みと空虚感が気になって仕方ない……彼があそこにいたるまでに一体どんな過去が。
・父親への思いは?自分の現神としての力は?彼にとっての高天原とは?天照とは?
・実は天照に片思いしていて、彼の歪みは天照の歪みに影響を受けているとかだったら…。
・ここまで感想のメインが青田彦と鳥船っていうのはどういうことだ。
兼倉
2011年12月14日 00:01
※続きの痛々しい感想(その2)

・軌道修正2回目
・真由の娘としてのしなやかさと葛藤がとてもリアルで、読んでいてドキドキワクワクしてました。
・八千穂は母親のことも真由のこともどちらも大事に出来てよかったです。同じ女性だけれど、どちらかしか選べないのではなく、どちらもきっと大事な存在ですね。母親と恋人。その違いを自覚できたからこそ彼が一人前になれたのかなと思いました。実生活でもこれはとても難しいけど大事なことだと感じています。
・なんだかまだ書き足りない気持ちもありますが、物凄い長さになってきたので後は自重します。

本当にありがとうございました!
次回作もいつの日か是非!(呼日と葦生がイイキャラ過ぎてその後が激しく気になります!最後がまた意味深…!)
Rie
2011年12月17日 03:50
兼倉さま、最後まで読んでくださり、ありがとうございました!
十数年前に勾玉や銀金に出会い、その後沸き起こる衝動に憑かれたようになり、勉強もそっちのけで起きているときはほとんどこの話を書くことに費やしました。その間も楽しかったのですが、こうして読んでくださる方がいることで、お話も息を吹き返すような気持ちがします。
青田彦と鳥船についてのコメントありがとうございます!
青田彦×伊住はないのかと聞かれたことがあります。青田彦×卯月は盲点でした…!

続きをいつか書いてみたいです。
そのときはどうか読んでやってください。
長い話にお付き合いいただき、感謝しています。
兼倉さま、ありがとうございました!

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