かみなぎ39

筑紫で軍をあげた将軍、葦生と合流をするため、明日香姫のひきいる大軍は生駒山のふもとへ軍をすすめた。この頃になると高天原は混乱をきわめ、流行病に加えて纏向が戦場になることを恐れた人々が、我先にと高天原を捨てて、木伊や河内に逃れていった。

 天照が死んだという事実を、王坐は隠し抜こうとしていたが、昼の御座にも姿を見せなくなった大巫女王について、さまざまなウワサが流れ、そんな中でやはり真実が漏れだしたのだった。

 高天原の太陽である、天照大巫女王が死の床のべについた。

 その事実はあっと言う間に高天原ばかりか周辺の領々にまで広がり、はやばやと見切りをつけた、高天原がわの首長らが、明日香姫に恭順を示すことも多かった。今まで高天原の傘下にいた者たちの、あまりの変わり身の早さに真由は閉口させられたが、明日香はむやみと彼らを殺すようなことは決してしなかった。

「われらは、奪うための戦いをしているのではない。彼らの命などわたしは欲しくないし、皆もそうであろう」

 明日香はきっぱりと言い切った。

「わたしの望みは、いままで高天原に握られていた霊力の解放なのだよ。神代の時代から、いまだ働きつづける忌々しいふたつの御鏡を砕き、すべてをあるべき場所に返す。巫は、高天原の繁栄のためにいるのではない。不要となったふたつの御鏡を打ち砕くために、存在するのだ」

 神代の時代、佐那来の男神の不死に対抗しようと、佐那巳の女神が国つ神たちに作らせたという四つの鏡。それをあわせてますみの鏡という。 二枚は消滅し、けれど残りの二枚がいまだこの世にある。男神を打ち砕くという目的のために作られた鏡は、いまや無目的に働いているというのである。げんに鏡守りである明日香は、いまだ不死にしばりつけられている。明日香は神代のころから、少女のすがたのままで生き続けているのだ。

「でも、あれだろう。溶かそうとしても壊そうとしても、びくともしないというのに、どうやって打ち砕けと言うんだい」

 伊住は首をひねっていた。

「国つ神も恐ろしいものを作ったもんだ。持ち主に不死を与えるなんて、はんぱじゃない。簡単に壊せとは言うが・・・」

 明日こそ高天原へ攻め込むという時になって、明日香姫のひきいる軍は筑紫から軍をあつめてやってくる将軍、葦生を待ちかねていた。葦生がこちらに合流するのは、遅くて二日後の夜。朝鳴き鳥の高い鳴き声とともに軍をあげることができれば、夕日をおがむ時刻にでも高天原は落ちているにちがいない。

 高天原の軍のあまりのふがいなさは、国つ者たちをみくびっていたがための、準備と対策の甘さのせいにちがいない。高天原の軍の兵たちは、こちらの軍に追い立てられるようにして畿内へ集まったかとおもうと、王坐を防備することもなく矛と盾を捨てて、降伏する者があいついだ。 天照が生きていたならば、こんな事態は起こらなかっただろう。兵は死ぬまで天照のために戦い、死をも恐れなかったにちがいない。

 先代の巫であった天照は、偉大な巫女であった。その名があらわすのは、太陽である。太陽が隠れたということは、すなわち高天原の支配者が消え、高天原の存在事態が危ういということ。重ねて、高天原を襲った流行病、国つ者たちの反乱などの出来事は、高天原の暗い行く末を見せつけ、人々に見切りをつけさせずにはいなかったのである。

「高天原にある御鏡の鏡守りは誰なんだろうか」

 天幕の中、真由のとなりに座っていた八千穂は、ふと言い出した。

 いまだ残っている二枚の御鏡のうち、一枚は明日香のものである。では、もう一枚は誰のものなのか。たしかに気になるところだった。

 夜も更け、篝火があかあかと燃やされる時刻である。明日香は、つめれば十人でも座れる広さのある天幕の上座にすわり、顔をそろえたひとびとを見つめた。軍を総指揮する箕義をはじめ、伊住や卯月、八千穂や真由にくわえて、常陸から駆けつけた青田彦もひざを並べている。

 明日香はすこしだけ表情をくもらせた。

「高天原の御鏡は、建御雷のもの」

 真由は思いもしなかったことを聞き止め、驚いた。

「建御雷って、あのひと?」

 白くも長い髭ばかりが目につく、やせ細った老人のすがたが真由の脳裏に浮かんだ。天照の御座で会ったことがあるが、どこか得たいの知れない老人である。

 いつだったか、だれかが彼をタコに例えたことがあったような気がしたけれど、そのたとえはある意味、とてもぴったりであった。建御雷にはまるでつかみ所がないのだ。八本もの足がある、タコそのもの。

「高天原を動かしているのは、あの翁なのだ。その昔はやつとともに高天原をつくってきたが、すぐにわたしとやつの考えはかみ合わなくなった」明日香は小さなくちびるを歪めた。

「御鏡は支配するために用いるものではない。しかし、建御雷は聞く耳も持たぬ。巫たちを用いて土地神のことごとくを鎮め、目障りなわたしも追い出した」

「目障りな人間を生かしておくものかね」

 伊住が口をはさむと、明日香は吐息をついた。

「殺したくとも、わたしもまた不死の身を持つ鏡守り。殺しようがあるまいに。なにより、やつはふたつの御鏡が一所に存在することを厭うたのだよ。わたしを追い出すことで、ふたつの御鏡が同じ場所に存在することを防ごうとしたのだ」

「どういうことです?」真由はふしぎに思って訊いた。

「あわせ鏡というのを知りおるか? ふたつの鏡をあわせてできる、むげんの広がりを」

 明日香が言うには、当然できるべきあわせ鏡の空間が、明日香の御鏡と建御雷の御鏡ではおこらないというのである。

「やつの御鏡は、曇っているのだ。いちど曇った御鏡は、たいていは二度と輝かない。曇った鏡は、ものを映さぬ。ものを映さぬ鏡は、もはやますみの鏡ではない。・・・建御雷の持つ御鏡は、わたしの澄んだ御鏡とまむかうと、矛盾にたえかねて割れ砕ける」

 明日香は神妙に言った。

「砕けるとは、すなわち死を迎え入れるということ。・・・やつはそれを恐れている」

「なんだ、壊す方法があるじゃないか」

 伊住はあかるい声をあげた。すると卯月が水を差した。

「やれるものならば、とうにやっておる」

「明日香の鏡と建御雷の鏡を、あわせればいいんでしょう?」

 八千穂がそろそろと訊ねたが、明日香はゆっくりと首を振った。

「そのとおり。しかし、その御鏡をやつがどこに隠しているかがわからぬのだ。高天原は王坐にあるのは確かなのだが、やつはわたしが掠め取りはしないかと、置き場所もわからぬようにしている」

「じじいを締め上げるしかないってことかい」

 伊住がしけた雰囲気に耐えかねたように、おおきく伸びをした。

「まあいいだろうよ。鏡守りだかなんだか知らないが、国つ者の軍を見れば、口のほうが勝手に動くだろう」

「であればよいが」明日香はつぶやいた。「やつは、このまま引き下がるような男ではない。何か仕掛けてくる。それも近いうちに」

 静かなだけに切迫した、予言めいた明日香の声は、天幕に集まった人々のこころを引き締めることになった。

 かくして、明日香の言葉が的中したことを皆が知ったのは、翌朝、葦生の軍が敗れたとの知らせを受け取った時のことだった。

「生駒で軍を合流させるには、斗呼の峠を越えるのが、いちばんの近道だったのです」

 命からがら生駒にたどりついたのは、ほんとうに数えられるほどの人々だけだった。しかもその中には将軍である葦生のすがたはなく、明日香らをがっかりさせた。

 斗呼は荒い道がつづく。両側を高い岩肌にはばまれ、いっきに駆け抜けることができない地理なのだ。軍をちいさくわけて行軍すれば、出口をふさがれるおそれがある。斗呼を迂回した陣が、峠の出口を確保するまで峠ごえは待たれていた。

 ところが葦生は、斗呼を迂回していた軍が高天原の軍に惨敗したとのしらせに動転し、しろがねの鎧兜の将軍がひきいる軍の敷いた罠のうえに、まんまと落ちてしまったのだと。

 しらせは偽物であった。峠の出口で高天原の軍に迎え撃たれ、退却しようにもうしろはつかえているし、頭上からは矢の雨が飛んでくる。まさに抜き差しならない状況に追い詰められたすえの結果だ。

「斗呼を迂回した軍は、あと三日もすれば生駒につくというが」

 いままで伊住となにくれと喋っていた青田彦は、うかない顔で言った。「葦生を失ったのは、痛い・・・。急がせすぎたのがあだになったのか」

 明日香はうめいた。空を見上げれば、なにやら天気もさっぱりしない。秋も終わりに近づけば、まもなく初雪が降ろうという時期である。

「いや、葦生であったなら、斗呼を通るのが危ういと気づいていたはず。知らせを吟味し、かならず斗呼を迂回する道を選んだはず・・・」

 そこまで言って、明日香は何かに思い当たり、それから苦い表情をして、ああ、と言った。

「わたしの知る葦生は、もう二十年も前に死んでいたのだった」

 わきで聞いていた真由はふしぎに思って訊ねてみた。

「わたしが知る葦生は、ちょうどわたしが高天原を離れて武佐師に移るさい、ともに軍をあげた男なのだ。むろん、ただびとだから、寿命が尽きて死んだ」

 斗呼まで軍を率いてきたのは、彼の孫なのだという。

「孫に多くをもとめすぎたのだろうか。容姿ばかりか、物腰も口調もあまりに似ているものだから、つい混同してしまった。であれば、これはわたしの落ち度かもしれないね。・・・葦生は、この世にふたりとない、すばらしい将軍であった。彼が西で反乱を起こさねば、われら凪の一族は武佐師に移るまでもなく、建御雷によって皆殺しにされていただろう」「それよか、しろがねの鎧兜の将軍というのが気になるね」

 伊住が短い髪をかきむしりながら言った。

「平野でだって山中だって、数で押してくるのがあいつらのやり方だ。あわてて戦法を変えたにしては、やけに頭が柔らかい」

 たしかに、今までの高天原の戦い方とはちがう。急いで生駒へ行きたい葦生の焦りを逆手にとった戦法である。偽の知らせで動転させ、ほそい峠道におびきだせば、いくら大軍だろうと物の数ではない。峠の出口で待ち構え、ごく少数をじっくりと相手にしていけばいいのだから、高天原にとっては楽な勝利だったろう。

 軍の動きをよく読んで先手を取れば、戦法と呼ぶほどの特別な戦い方ではない。高天原にしてみれば、勝って当然だ。けれど、高天原の軍はいままで今回のような作戦を練りもしなかった。斗呼でのこちらの負けは、だからむやみに葦生ひとりが責められるものではなかった。

 はっきり言って、明日香をはじめ国つ者たちは、それほど高天原の軍をばかにしていたのだ。筑紫からの軍を待ち生駒山のふもとに陣取っていた国つ者たちは、葦生を待ち侘びていたぶん、いたく打撃をうけた。 しかし精神的な打撃は、明日香の鼓舞と、いままでの連勝によってなきものにされ、結局は増援なしで高天原に攻め込むときになった。

 生駒を発ち、四方を山に囲まれた盆地にはいると、ほどなくして先見の男が声をあげた。

「軍が見えます」

 まもなく纏向というところで、高天原の軍が待ち受けていた。横一線に広がるようにして騎馬と徒歩の兵たちがいる。かれらの手にする槍矛のきらめきは、高天原の赤い旗のたなびきとともに、真由の目を細めさせた。目をこらすと、先頭には馬に乗ったしろがねに輝く鎧兜がみえる。「あれが、例の」

 巫が高天原を離れてからというもの、四方を山に囲まれたこの土地にも風が吹くようになった。風がもたらすのは、冷たいすがすがしさ。持ち去るのは、滞った澱みだ。

「こんどはぼくらが高天原を吹きさらう。王坐によどんでいる、すべての澱をぼくらの軍が吹きさらうんだ」

 八千穂は強い口調で言った。彼はなめし革に、金だらいを引き伸ばしたような、にび黒くかがやく胸板を取り付けた、ずっしりと重そうな鎧をまとっていた。白い衣袴は戦装束だ。腰には太刀をはき、髪をきりりと角髪に結ったさまは、真由でなくとも目を瞠るにちがいない。

 なにより、彼には迷いがなかった。まなざしは以前のようにかよわげではなく、じぶんを信じることから生まれる雄々しさが、物言いからでも立ち居ふるまいからでも、にじみでているのだ。

 真由は彼の物言いにうなずこうとしたが、どうにもすっきりしない、いやな予感をもてあましていた。

 真由のためにあつらえられた薄朱の衣袴は、肌になじみきっている。足結いのところに葛のつるを幾重にも巻き付ける手際も、邪魔にならないように髪をあげる所作も、もうひとりでも、てこずらずに上手くできるようになっていた。

 彼女の衣の胸元にはヤチホコがおり、けれどそのぬくもりも今日ばかりは慰めにはならなかった。

 今朝から柚宇津のすがたが見えないのだ。軍のなかでも後尾をまもる膳夫たちといつも共にいる柚宇津は、けれどいつも寝起きを共にしている健次のもとからも消えたというのである。行軍がまぢかになって、健次が何度も柚宇津を呼ばわろうと、童男は出てこようとはしなかった。 真由が柚宇津にあずけていたはずの、ヤチホコばかりが何か物言いたげに、なさけなくきいきい鳴いていた。

「何か言ってよこしたようだ」

 両軍がにらみあっている間にも、あちらの軍から伝言があった。明日香はそれを聞くと顔を歪め、目を閉じた。

「明日香のおんきみ、どうしました?」

 真由が馬を寄せていってたずねると、明日香は真由を見ないまま呟いた。その声は苦かった。

「捕虜をこちらに返すかわりに、そなたの身柄をもとめている」

 なんでも捕虜のなかには筑紫の将軍、葦生もいるという話だ。真由が出て行かなければ、目の前で彼らが首を落とされることになる。

「捕虜数人と童男がひとり」明日香は形のいい眉をひそめた。真由は聞き捨てならなくて、問い返した。「童男?」

「蓑野の里で拾った童男のことだという。馴れ合いも度がすぎるとあやういだとか・・・柚宇津であろうな」

 しかし、なぜ柚宇津が高天原の軍に捕らわれているのだろう。なにより、なぜ高天原が柚宇津の身元を知っているのか。不審はあったが、真由の決断は早かった。真由の身柄とひきかえに将軍が助かるというのなら、なぜ臆することがあるだろう。

「ならぬ。そなたを行かせる気はない」

 明日香はきびしく言った。

「捕虜らの中に葦生がいるかすらもわからぬのに」

 しかし真由はじぶんの考えをあらためる気はなかった。

「わたしはただの娘ではありません。わたしには霊力があるし、なにより高天原が欲しがる巫だわ。わたしをそうやすやすと殺すとは思えない」 真由は声とこころを落ち着けさせながら、つづけた。

「わたしが今出て行かなければ、将軍やほかの捕らわれ人たちが殺されてしまう。・・・それに、柚宇津も。わたしは黙って見ていることなんて、できません」「そなたの身はそなただけのものではない」

 明日香は低く言った。

「そなたはわれらにとって、欠いたままではおけぬ娘ぞ」

 明日香は葦生らを見殺しにしてもかまわないと言っているのだ。真由は首を振ると、まっすぐに少女の面影をみつめた。

「このまま彼らを見殺しにすることこそ、軍の損害です」

 真由は強い調子で言った。

「それに、わたしの心のままにすればよいとおっしゃったのは、おんきみです」

 真由は柚宇津をまもると、死なせないと、約束したのだ。死ぬことにおびえ、しゃくりあげる柚宇津の小さなからだ。汗とあかのにおい、だきしめたぬくもり。このまま出て行かなければ、きっと後悔する。果たされないままの約束は、真由のこころからいつまでも張りついて、はなれないだろう。

「わたし、約束したわ」

 張り詰めた声でつぶやくと、あたたかな感触が真由の手に重ねられるのが分かった。真由は知らず知らずのうちに、馬のたづなをぎっちりと握っており、重ねられた八千穂の手がそれをほぐそうとしていた。

 驚いて顔をあげると、やさしくも強い微笑があった。

「助けに行くよ、すぐに」

 真由がなにか言うまえに、口を挟むひとがあった。

「おいおい、あんまり感心しないね。そんな安請け合いをして、ひとりきりで何をしようというんだよ」

 後ろを向くと、伊住をはじめ青田彦や卯月がいた。

「高天原もなにか考えがあってのことに違いないぜ。いくら真由に霊力があるとは言ったって、御鏡のことも忘れちゃならない。姫さまも言っていただろう。得たいの知れないものが、高天原には切り札としてあるんだ。それをはずして物事を考えるのは、あぶないね」

 伊住はいちど言葉を切った。「そうだろ?」明日香は肯定をもとめられると、神妙にうなずいた。伊住は慎重にたずねた。

「おまえは、それも考えのうちに入れているんだろうな?」

 八千穂はするとうなずいた。

「勾玉の呼び合うちからを利用しようと思う」

 胸元からふたつの勾玉をとりだすと、彼は目の前で揺らしてみせた。「大蛇の勾玉?」

 真由がふしぎそうに眺めていると、八千穂は言った。

「大蛇神のたましいは、天照の手で三つの勾玉にふりわけて籠められた。分かれたたましいは、強く呼び合う。きみとぼくが一つづつ持っていれば、きみを見つけだす手掛かりになると思うんだ」

 八千穂は言いながら、真由の首にちっぽけな勾玉のひもをかけた。真由は肌のぬくみが染み込んだ勾玉にふれて、それから胸元にしまいこんだ。明日香姫をみつめると、彼女は苦笑をたたえたまま、しまいには首をたてに振ったのだった。

「そなたが決めたのならば、わたしにはとどめようもない・・・。真由よ、そなたはすせりびめだ。すせりびめが風を吹かす方向へ、さだめの風もまた流れてゆくのだろう」

「じゃあ・・・」真由が声をあげると、明日香は少しだけほほ笑んだ。

「たしかにわたしは、そう言ったのだったな。言いようを反故にすることもできまい。・・・よい、そなたの心のままにするがよい」

 真由の身柄とひきかえに捕虜は解放されたものの、将軍である葦生のすがたは、その十数人のなかにはなかった。なんでも捕虜のひとりの話によると、葦生は斗呼の峠ごえの陣には加わっていなかったという。葦生には葦生の思惑があり、斗呼の峠を行軍した軍は、ごく少数。峠の出口で高天原の軍と鉢合わせすることを考えに入れて、大部分が焦りをこらえて斗呼を迂回し、葦生もまたそのなかにいるのだと。

 国つ者の軍は、いうなれば寄せ集めの軍だ。葦生は陣内の情報が漏れだすのも計算にいれており、偽のしらせにおどらされたのは、峠ごえを待っていた葦生の影であった。

 柚宇津も大事はなかったものの、やはり無口で、彼なりに察するところがあるのか、ひどくしょげていた。埴色の毛並みのテン、ヤチホコが柚宇津のくびすじにしっぽを巻き付けたりしてじゃれていたが、柚宇津はくすぐったがって笑ったり、はしゃいだりもしなくなっていた。

 一度はあかるさを取り戻したかに見えた柚宇津であったが、真由がいなくなってから三日というもの、ずっと落ちつかなげに陣の中を歩き回っていたのだ。

「黒鳥がくるよ、黒鳥がくるよ」

 さらわれた手前、ひとりでいるのは恐ろしいらしく、柚宇津はいつも誰かかれかにくっついていた。若い兵のひとり、健次が我が弟のように目をかけていたが、軍において膳夫もかねる健次は常にいそがしく、柚宇津のとなりにいるのは、だいたいが八千穂の役目になっていた。

 ふたりは布陣したなかにあるイチョウの太い木のしたで、何をするでもなく腰を下ろしていた。イチョウの葉はとうに黄色にかわり、落ち葉となって、みな地面に散りつもっていた。厚くつもった葉の一枚をつまみ、めでながら独特の強い匂いのなかで大木にもたれていると、ここが陣内であることも、ふと忘れてしまいそうになる。

 はだかになったイチョウの木は、八千に枝分かれしたすきまから、午後のこもれびを穏やかにこぼし、ときおり吹き過ぎていく風は、落ち葉をざわざわと吹き上げた。さっきまでイチョウの実を夢中になって拾っていた柚宇津は、八千穂のとなりでうとうとしていた。

 あまりにおだやかな秋の午後だ。風は冷たくなってきたけれど、日が出ているうちは肌寒さを感じるほどでもない。

 八千穂は目線をさげて、柚宇津をながめた。肩によりかかるやさしい重みを感じるたび、八千穂は焦らないままではいられなかった。胸底から常に湧きでて押さえ切れない嫌な予感は、いますぐ高天原をめざして駆けてゆきたい気持ちをかかえる彼のまえにあって、押さえることこそが難しかった。

 すぐに助けに行くとは言ったものの、王坐に入り込むのは簡単なことではなかった。八千穂はすぐにそれを思い知った。考えなしに飛び込んでも、すぐに網にかけられるのが関の山だ。明日香はすぐさま高天原に身を飛ばそうとする八千穂をなだめ、しっかりと作戦を練ることをすすめたのだった。

 むざむざ建御雷がからげた網にかかりに行くよりも、たしかによほど前向きな意見だった。

 王坐にツテのある青田彦と、市庭にツテを持つ伊住が結託して、自信ありげに胸をたたいて見せたのである。二人はひと足先に高天原にはいり、こちらでは彼らの連絡を待っているという状態なのだった。

 すこやかに眠っている柚宇津は、ときどきむにゃむにゃと口を動かす。「かあちゃん、腹へったよう」

 寝ぼけながら八千穂の肩に歯を立ててくるものだから、八千穂は少しずつ柚宇津から体をずらしていた。しあわせな夢の中にいるのを、むやみと起こすこともできないし、彼は最後にはあきらめて、柚宇津が噛みついてくるのにまかせていた。

 そのうち、柚宇津がしゃくりあげはじめた。みるみる嗚咽が大きくなり、ひときわ高い悲鳴をあげて飛び起きると、柚宇津はそばにいた八千穂にしがみついた。

「黒鳥がくるよ、黒鳥が・・・」

 八千穂は足をのばし、片膝を立てた格好で、やさしく言った。

「どうして黒鳥をこわがるんだい。黒鳥は、やさしくて、かしこい鳥なんだよ。ひとの言葉もわかるし、ひとを喪すことも知っている」

 八千穂がなだめるように言うと、柚宇津はぶんぶん首をふるのだ。

「じゃあ、あれは黒鳥じゃない。ちっともやさしくなかったし、ぼくをつつき回したんだ。・・・つつき回して、いじわるを言って、ぼくを、泣かせたもの。たくさん」「いじわる?」

 八千穂が奇妙なものを感じてたずねると、柚宇津は顔を赤くした。

「ぼく、泣いていないよ。やっぱり、泣いていない」

 おさないなりの誇りに、八千穂はほほえんだ。

「うん、わかっているよ」

 八千穂が言ってやると、柚宇津は安心したようだった。泣き虫とからかわれるのが、何よりいやなものらしい。

「みじかいくちばしに、ぎょろぎょろ動くめだまをしているんだ。ぼくの腕を爪でつかんで、いたいよって言うのに離してくれなかった」

 柚宇津は目を伏せた。まつげは震えていた。

「目が覚めたら、こわい人がいた。腰が曲がっていて、背中にコブのようなのがくっついてた。何かを言っていたけど、早口でわからなかった。早口ことばの遊びをしたいのと聞いたら、怒られたんだ。とてもこわかったよ。こわかったよ・・・」

 柚宇津が陣内から消えて、高天原の手の内にあったことと、何か関係があるにちがいない。柚宇津がこうまでおびえる鳥、それに、背中にコブのある人物。

 八千穂が思い当たる人間がいないかと考えていると、卯月の声がかかった。落ち葉のつもった地面を、大股でふみしめるように歩み寄ってきた卯月は、柚宇津と肩をならべた八千穂をみつめてかすかにほほ笑むと、彼に手をさしだし、腰を上げさせた。

「伊住たちから何か?」

 八千穂がたずねると、卯月はうなずいた。八千穂の衣の肩あたりについた歯形とよだれの染みをみつけて、ふしぎそうな表情をしたが、何も言わなかった。

「騒ぎが聞こえなんだか? 葦生の軍がついたのだ。そればかりではない、おまえさまも待ち侘びていた伊住からの連絡も、さきほどついたばかりだ。ようやく動き出せるぞ」

 卯月は八千穂をともなって歩きだした。八千穂は柚宇津を馬番の安乃にあずけると、宿舎となる天幕がせめぎ合うように、ぎっしりと張られたその隙間を縫うように歩いてゆき、やがてひときわ大きい天幕の前についた。見張りの兵が天幕の布地をかきあげて、ふたりを内部に通してくれた。

 天幕とはいえ、中央に柱を立てた骨組みのがっしりとした広いもので、少しの風や雨ではびくともしない強さがある。直土のうえに敷きかさねられた、荒ムシロと茣蓙は、人の出入りが多いために、入り口が土でまみれ、落ち葉が吹き込んでいた。

「来たね」上座に熊皮の柔敷物をひろげ、脇息によりかかっていた少女は、八千穂と目が合うなり口を開いた。

「・・・葦生よ、そちらがいま話をしておいた、八千穂だよ」

 明日香から少し離れて、となりの円座にあぐらをかいていた男が、つられるように八千穂をみた。八千穂は葦生をみるなり、じぶんが想像していた人物と、かなりかけはなれているものを感じて、戸惑った。

 武佐師でも、筑紫のはやぶさ、葦生の名は翁や媼しか知らないし、彼を英雄だと誉め称えるのも、老人ばかりだった。だから、八千穂はとんでもない翁将軍を思い描いていたのである。・・・それが、目の前の葦生にはまったく老いのかげすらない。体躯はがっしりとして、背中はぴしりと伸ばされている。顔付きは柔らかいとは言い兼ねたが、ふとした時にいたずらをしかねないような、むじゃきな童男の表情が、厳しくも精悍な印象をやわらげているのは確かなことだった。

 そもそも、明日香が無二の将軍と誉め称えるのは、葦生にとっては祖父にあたる、「葦生」なのだ。祖父はとうに亡くなり、軍を率いてきたのは祖父の名を継いだ孫なのだから、若者であってもおかしいことはない。

「名にし負う、高天原の巫というから、どんな益荒男かと思えば」

 どうやら葦生のほうも意外だったようだ。なにか物言いたげに八千穂をみつめるのである。

「手弱女のような、なよやかな風情だなあ。・・・いや、これを侮辱と取りなさんなよ。心底から誉めているんだから」

 しみじみと眺められて、八千穂はあやふやな微笑をかえした。葦生のほうも、将軍にしてはやけに身軽そうに見えたが、八千穂は黙っていた。言うべきことは、もっと他にあるのだ。

「高天原へ攻め入るのはいつです。明日ですか、あさってですか」

「焦れば事を仕損じる。焦ったがために上手くゆくこともふいになるとは、よく言ったものだ。それは女性に対してだろうと、戦に対してだろうと、同じことだ。そうだろう、御大将」

 葦生はやけにあかるく言った。八千穂はそれを聞くとむっとするより、うんざりした。これが焦らずにおれようか。王坐における真由の安否は、この三日というものまるでわからないというのに。

「あなたには、まゆの命がどうなろうと関係ないかもしれない。でも、ぼくは彼女と約束をした。すぐに助けに行くと。・・・この約束をひるがえす気はないし、口約束で彼女を裏切る気もない」

 葦生は八千穂のにらみ顔をまっすぐに受け止めると、それから口の中でなにか言葉を転がしていたが、ややしてほほ笑んだ。

「・・・なるほど。いやいや、すまないことをした。軽口であなたを怒らすつもりは無かったのだが」

 葦生は言いながらもすぐに笑顔をおさめると、明日香に言った。

「おんきみ、王坐に忍び込めるツテがあるのなら、むやみに軍を動かすこともありますまいな。なんでも高天原じゅうを、流行病が食いつぶしているとか。その混乱を縫っていけば、王坐に忍び込むことも難しくはない」

 すると明日香はうなずいた。

「わたしもそのつもりだ。軍は、このまま止め置く。いま攻め込めば、かならずや勝てるだろう。しかし、むやみに軍を動かせば、追い詰められた建御雷が真由をどのように扱うかもわからぬからね」

「忍び込むとは言っても・・・」

 八千穂はうめいた。王坐をかこむ十二の門扉はかたく閉じられ、出入りもままならないというのに、どうして忍び込めるだろう。たしかに、八千穂ひとりならば霊力をもちいることもできる。八千穂の身にある巫の霊力は、どんな堅固な門扉であろうと飛び越えることに、そう難しさはないのだ。

 皇子として王坐に暮らしてきただけに、四方かわりばえのしない王坐の構造もだいたい分かっている。けれど、ひとつ心配があった。

「そうだ、霊力をつかうことはならぬ。わたしがぬしの霊力の発動を感じることができるように、建御雷もまた、王坐に忍び込んだぬしの気配を嗅ぎわけるはず。たしかに便利な霊力だが、あやうくて勧められぬ」 明日香は慎重に言った。

「じっさい、伊住らのツテというのに頼るしかないのだ。王坐へ忍び込むのは、真由を取り戻すことももちろんあるが、建御雷の御鏡のありかをも突き止めてほしいからなのだよ」

 それから胸元をさぐり、生絹につつまれた御鏡を八千穂に手渡した。「これを持ってお行き。御鏡は呼び合い、ひとつになろうとする。御鏡を肌から離してはならぬ、それから、この生絹を御鏡から取り払ってはならぬ。この生絹はただの覆い布ではない。輝きを内に籠めておく、いうなれば太刀の鞘のようなものだから。・・・鞘にこめられているうちは、建御雷も近づいた御鏡の存在には気づくまい。よいか、心によくよく留めておくのだよ」

 王坐に侵入する手筈は、伊住と青田彦がぬかりなく手配しているという。八千穂がするべきことは、まず高天原で彼らと落ち合うことだった。「わたしも共に行く。真由どのはわたしの部下の身代わりとなって、王坐に行かれたのだから。わたしも何かの役に立ちたい」

 葦生が言った。しかし卯月が口をはさんだ。

「定員は四名だ。八千穂、伊住、青田彦、それにわしだ。それぞれに役割がある。だからおまえさまには、軍を守っていてもらいたい」

 しかし葦生はひきさがらなかった。もっともらしいことを並べ立て、ついには卯月の役割をひきうけたのだった。役に立ちたいとはいうものの、本当のところはわからない。やけに嬉しそうな表情をしているので、八千穂はじつに心配になった。

「おなごになりきるおつもりか、おまえさま」

 卯月は葦生の強引さになかば呆れていたが、いやな顔はしていなかった。明日香はほほえんだ。

「おのこでもおなごでも、ようは見破られねばよいこと。八千穂はともかく、葦生はおなごに見立てるのもちいと苦しいが、いざと言うときの冷静さは卯月にまさるものがある。八千穂、葦生、首尾ようおやり」

 八千穂はうなずくと、明日香をみつめた。明日香は彼のまなざしに気づいて、眉をかるく浮かせた。

「なんだい、ほかに何か言いたいことがあるようだね」

 八千穂はなんだか、後ろからつよく背中を押されたような気持ちで、言わなければと思うことを喋った。

「ぼくは建御雷の御鏡を壊す。あれは、この世にあってはならないものだから。きみを不死に縛り付ける御鏡の霊力は、きみの言うとおり、巫の霊力が代々生まれ続けることにも、どこかで関わっていると思う」

 八千穂はよどみなく言った。

「なにより、ぼくの知らないぼくが、きみに約束をしたというのなら、ぼくはその約束を果たさなければならないと思う」

 明日香は黙っていた。八千穂は言い出すことに躊躇をおぼえて、きゅうに口ごもった。

「ただ、御鏡を壊すことは・・・」

 ふたつの御鏡をあわせると、御鏡は矛盾にたえかねて消滅する。しかし御鏡を壊すことは、鏡守りに死をあたえることでもあるのだ。御鏡を放棄することは、いままで滞っていた老いと死を迎え入れることだ。

 明日香はそれを知ったうえで、八千穂に動揺もなく御鏡を手渡したのだ。・・・けれど、死を恐れないひとがどこにあろう。死を厭わないひとが、どこにあろう。

 口をつぐんだ八千穂をみつめると、明日香はくちびるにほほ笑みをうかべた。

「わたしは、もう長くを生きすぎた。こうまで長い時間を生きていると、なにが大切だったか、なにが譲れぬものだったか、忘れてしまうものなのだよ。・・・ぬしらにとっては、生きおることがなにより輝かしいことであろう。出会い、恋をし、子を育み、老いてゆく。限りある時間のなかに息をしているからこそ、すべてを貴くおもえるのだ」

「おんきみ・・・」卯月はちいさくうめいた。卯月はひときわ明日香の近くにいたぶん、もしかしたら不死のひとの孤独をも、みつめていたのかもしれなかった。明日香は苦しそうに眉根をよせる卯月をながめると、宥めるように言った。

「卯月よ、そなたもそろそろ、わたしから解放されなければならない。そなたはいままで、なにひとつ自分の幸せというもの、見つけられなかったろう」

 卯月は首を横に振ったが、明日香はやさしく笑っただけだった。

「そなたが胸に育てているものを、大事にするのだよ。育とうとしているものを、日が思うように照らないからといって、無理に引き抜こうとしてはならない」

 すると卯月は決まり悪そうに、うなずいた。彼女の頬は少し赤かった。「・・・何もかも、知っておられるのですか」

「そなたの様子が前とちがうのは、あの男が訪ねてくるときに限ってのこと。婆の目をあざむけると思うのかい」

 明日香はくすくすと笑ってから、ふいにまじめな顔をした。葦生と八千穂を交互にみつめ、おもむろに口をひらいた。

「わたしは不死に未練はない。しかし、これより先のことはわからない。建御雷のように不死にしがみつき、あらゆる歪みを生み出すようになってはおしまいだ。・・・たしかに、わたしも昔は死が恐ろしかった。大事にふところに御鏡を置き、毎日のように磨いた」

 明日香は苦いものを飲み下すときのような、渋い表情をした。

「しかし、磨きながらも御鏡は日に日に曇っていった。いくら曇りをふき取ろうとしても、いっこうに美しく輝かなくなった。そして、御鏡にうつるのは、いつしか必死の形相をした、わたしばかりとなった」

 八千穂は身につまされるような思いで、明日香の話を聞いていた。御鏡の霊力にしろ巫の霊力にしろ、ただびとを越えた霊力にすがりつきたくなる思いは、強く通いあうものがあった。

「わたしは自分自身のみにくさに気づいてはじめて、高天原が進むべき方向を間違えてしまったのだと気づいた。高天原はしいたげるために存在するのではない。巫もまた、支配するための存在ではないとね。

 高天原は、炎の御子が帰るべき故郷としてつくった場所なのだ。けれど、気づいたときは、もはや手遅れであった。建御雷の御鏡は表面がさびつき、濁り、うつくしいますみの鏡のおもかげを、少しも残してはいなかった」

「うちのじいさんが、おんきみをお助けしたのは、そのときですね」

 いままで黙っていた葦生が、つぶやきのように言った。

「そうだよ。建御雷は、高天原にいた凪の一族、つまり建御雷に反目するひとびとを皆殺しにしようとした。・・・そんなとき、筑紫で軍をあげたのが葦生だ。そう、そなたにとっての、じいだ。彼は生駒にまで迫って高天原をゆるがし、その騒動のなかでわれらは高天原をつつがなく逃れることができたのだ」

 明日香はいちど脇息をきしませ、息をついた。

「今でこそ、わたしの御鏡は澄んでいる。しかし、いつまた濁るかはわからぬ。いつまた醜い執着心が生まれるかもわからぬ。・・・わたしを建御雷のようにさせないでおくれ。ひととして、生きることに嫌悪だけはしたくないのだ。生きることに倦んではいるが、雄々しく生き抜こうとするそなたらまで、憎むようにはなりたくないのだ・・・」

 首を高くあげて、明日香はまっすぐに八千穂をみつめた。彼女のまなざしには、痛々しいまでの切実さがある。八千穂はくちびるを引き結び、ふかぶかとうなずいた。

                             

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